外注できない「ママ見て」の話
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「ドリルを買う人が本当に欲しいのは、ドリルではなく穴である」という有名な話がある。
なるほど。
では、うちの娘が欲しいのは何なのか。
たぶん、丸つけではない。
最近それに気づいた。
娘は公文をやっている。
公文というのは、たいへんよくできたシステムである。
教材は用意される。
先生もいる。
宿題も出る。
さらに我が家には、元・教育ママである祖母までいる。
盤石である。
私などいなくても、公文の宿題くらい勝手に回りそうなものだ。
しかし、回らない。
「ママ、見て」
と言う。
見る。
「ずっと見てて」
ずっと?
締切明日だから仕事したいんだけどな。
しょうがないからパソコンを閉じる。
「かわいい花丸かいて」
最近、娘は花びらの途中にちいかわが描かれた、かわいい花丸がお気に入りである。
仕方がないので描く。
でも、考えてみれば、丸つけそのものは私でなくてもできる。
赤ペンを握れる人なら、たぶん誰でもできる。
かわいい花丸が描けなくても、「よくできました」のスタンプでも押しておけば、学習上は何の問題もない。
祖母でもいい。
先生でもいい。
なんなら採点だけなら、そのうちAIでもかなりできそうである。
それでも娘は、
「ママがいい」
と言う。
どうやら娘が欲しいのは、丸でも花丸でもないらしい。
ママが自分のために時間を使って、自分を見てくれていること。
欲しいのは、そっちなのだと思う。
これは困った。
外注できない。
私は在宅で仕事をしている。
最近は、もう少し仕事を増やそうかな、扶養を抜けようかな、と考えることも多い。
子どもは二人とも小学生になった。
息子は来年には中学生である。
赤ちゃんはいない。
保育園児もいない。
祖母もいる。
勉強は公文がある。
条件だけ並べると、かなり働けそうな家庭に見える。
私もそう思っていた。
実際、二人とも元気に学校へ行ってくれる日は、以前よりずっと仕事がしやすくなった。
そろそろ、もう少し働いてもいいのかもしれない。
そんなことを考えていた。
上の息子は、娘とはかなり違うタイプである。
小さいころは甘えっ子だったが、成長するにつれて「自分でやる」という気持ちが強くなった。
勉強についても、親ができることはだんだん減っていった。
一方で生活面では声をかけたほうがいいこともある。
娘は逆に、そのへんは息子よりしっかりしていることもある。
だから私は、
「娘はあまり手がかからないタイプなのかもしれない」
と思っていた。
では、そろそろ仕事を増やしても大丈夫かな、と。
ところが、そう単純でもなかった。
娘は娘で、別のところで私を必要とする。
一緒にやりたい。
見ていてほしい。
ママがいい。
一枚終わったら褒めてほしいし、撫でてほしいし、抱きしめてほしい。
同じ家で、同じ親が育てている兄妹でも、こんなに違うのだから、
世の中にいる何百万人もの子どもを、
「小学生になったら、だいたいこのくらい親の手が離れます」
と一つのモデルに入れるのは、なかなか難しそうだなと思う。
これは別に、「フルタイムで働いたら子どもを見られない」という話ではない。
子どもも親も、本当に千差万別だと思う。
うちの場合は、「ママ見て」が多い娘と、仕事も家事も何でも要領よく回せるわけではない私の組み合わせである。
たぶん私は、今仕事を無計画に増やしたら、娘の「見てて」に今ほどうまく応えられなくなる。
* * *
今うまく回している人だって、
子どもが病気になったり、
急に学校へ行けなくなったり、
親が病気になったり、
介護が始まったり、
そんなことがあるかもしれない。
ペットだって病気をするし、介護が必要になったりする。
我が家も今は母が元気でいてくれる。
だから私も仕事をしやすい。
でも、明日母が転んで入院したら、たぶん生活はあっさり変わる。
今うまく回っているからといって、来年も同じように回っているとは限らない。
もちろん、そんなことを言っていたら何もできない。
「何かあるかもしれないから」と全員が家で待機していたら、社会は回らない。
第3号被保険者制度の見直しも議論されているし、これからますます夫婦ともに働くことを前提とした社会になっていくのだろうとは思う。
ただ、機械なら稼働率100%は優秀そうに聞こえるけれど、私は一家全員100%稼働みたいな生活を、たぶんうまく回せない。
* * *
娘は今日も、
「ママ、ずっと見てて」
と言う。
私はパソコンを閉じて、公文のプリントを見る。
たぶん、この時間もずっと続くわけではない。
息子を見ていると、子どもが親を必要とする形は少しずつ変わっていくなと思う。
そのうち娘も、「見てて」と言わなくなるのだろう。
だからといって、この時間をあらかじめ「一日45分」と見積もって予定表に入れることもできない。
後からまとめて返すことも、たぶんできない。
私はこれからも働くし、たぶん今より仕事を増やしていくとは思う。
でも少なくとももう少しだけは、「ママ見て」「ずーっと見てて」に応えてあげられる働き方をしたいなと思っている。



